渋谷から考える。(2)

ここ5年くらいの変移の傾向について。

コンテンツ屋がつぶれて洋服屋になるパターン。これは主にAmazonに代表されるネットショッピングの台頭によると考えられる。本はgoogleブックスで試読してAmazonで買えば良いし、音楽はyoutubeで試聴してiTunesで買った方が、わざわざ店頭に足を運ぶよりも便利で安い。家電についても実店舗で説明を聞いてネットで買うというのが主流になりつつある。一方、洋服はそうはいかない。相当買いなれていない限り、ネットで画像を見ただけでは、実際に着た時のシルエットやフィット感、素材の違いによる着心地の良し悪しや、ヘビロテしているジーンズとの併用の可否、髪形やメガネのフレームとの相性なんかはよく分からない。
 有機高分子の科学の発展の目覚ましさを見るに、近い将来、洋服も何かしらの形で電子化されるだろうし、そうなれば現存の洋服屋も本屋やCD屋と同様に衰退の道をたどるだろう。ただ、そうした技術は少なくとも実用化までに20年、普及にもう20年程度かかるだろうから、しばらくの間は渋谷のアパレル関係店舗は全体としては安泰だと思われる。

単に僕が人のいないファーストフードが好きだというだけで、わざわざ潰れそうなところばかりに通っていたのかもしれない。ただ、西新宿でも去年だけで居酒屋が10店ぐらい新規オープンしていて、それも刺身や鶏料理の美味しい感じの店が多くて、もしかしたら何かトレンドがあるのかもしれない。
 まず西新宿の事例を元に考えるに、マスコミが騒いでいるほどには、現代人は酒を飲まないわけではないのだろう。「忙しすぎて酔っぱらっている暇など無い。」というのはほんの一握りで、それ以外は飲酒文化を享受しているというのは、実感と一致している。そこで、渋谷のファーストフードから飲食店への流れというのは、単純に渋谷の利用者層の高齢化を意味しているのではないだろうか。では若者はどこにいるのかと聞かれれば僕もよく分からないのだけれど、多分そういう問い自体がナンセンスなのだと思う。

  • 文化会館 -> ヒカリエ

渋谷文化会館跡地に来春オープンするヒカリエにはプラネタリウムがないらしい。文化会館のプラネタリウムと言えば、かつては一つの渋谷の象徴だった。
 矢作俊彦は、1998年頃の渋谷を、1968年以来30年振りに日本に帰還した主人公の視点から以下のように描いている。

東口に出た。人はいくらか少なくなった。大きな新聞スタンドの向こうで、地下鉄の高架線が、バスターミナルの上空を横切っていた。ガラス張りの連絡橋がそのすぐ下に横たわっていた。連絡橋は、東横線の駅といくつもの映画館が入ったビルを結んでいた。ビルの屋上には、プラネタリウムのドーム屋根が銀色に輝いていた。どれも、思い出よりずっとちんまりしていた。決して見すぼらしくはなかった。見すぼらしいのは、むしろ周囲ににょきにょきと丈を競ったビルだった。高いばかりでやせ細ったビルは、街を大きくしているのではなく、ただ空を狭くしているだけだった。
「ららら科學の子」/矢作俊彦

 引用は一段落だけに留めておくが、「ららら科學の子」の渋谷や世田谷の描写は素晴らしい。作中の日本の社会的状況の描き方はステレオタイプで退屈だが、街の描写は生き生きとしている。
 1998年頃とはかなり変わってしまった現在の渋谷の街を誰かがきちんと描写すべきであると思うし、次記事以降ではそれに挑戦したいと思う。