イグアノドンの角

「マンテルは自分が見つけた化石をイグアノドンの角だと思っていた。」という話が確か小学校の教科書に載っていて、なんだってそんな大胆な間違いをしたんだろうと思っていたのが、なぜかさっきふと思い出されて、気になったので調べてみた。
 まず、小学生時代の僕が読んだのは以下のような内容だった。

一番最初にイグアノドンの骨を発掘したギデオン・マンテルは、その骨を動物学者に送った。それを見た学者は、「犀の角と同じもの」と回答した。それは本当はイグアノドンの爪だったのだが、この回答のため、長い間、イグアノドンには鼻の先に角がついていると考えられていたというのは、恐竜好きの人なら誰もが知っているエピソードである。
http://www.geocities.jp/pluto_naoko/july24.html

 結論から言うに、この話はいくつかの事実が入り交じって出来たもので、デタラメである。
正確な話は年代順に並べると以下のようになる。
1822年初旬 : マンテルの妻がサセックスの森の中で骨の化石を見つける。*1
1822年五月 : マンテルは化石をロンドン地質学会に提出する。このとき、古生物学者のウィリアム・バックランドは、化石は魚の歯かサイの切歯であると主張した。
1823年 : イギリスの地質学者チャールズ・ライエルが、当時の古生物学の権威であったフランスの博物学者ジョルジュ・キュヴィエに化石を見せると、彼もまた同様に化石はサイの歯だとみなした。
1824年三月 : バックランドがマンテルのコレクションを見に訪れる。そのとき、歯の化石については、大型の爬虫類のものであるかもしれないが、草食動物のものではないとの見識を示した。*2
1824年六月 : マンテルは化石を再度キュヴィエに送る。キュヴィエは、化石は爬虫類のものであり、特に極めて大きい草食動物のものである可能性が高いと述べた。
1824年九月 : 化石と現代の爬虫類との類似を調べるために、マンテルは王立外科医師会の博物館を訪れる。そこで、博物館のキュレーターであったサミュエル・スタッチベリーはマンテルの化石がイグアナの歯とよく似ていることを発見する。
1825年二月 : マンテルはロンドン地質学会にて一連の発見について発表する。この化石は、イグアナの20倍程度の大きさの巨大爬虫類のものであると推定され、イグアノドン(「イグアナの歯」の意味)と命名される。
1834年 : イグアノドンのものと推定されるいくつかの化石群が、ケントにて発見される。マンテルはこの一連の化石を元にイグアノドンの化石の復元を試みる。そのときの骨格図が下のリンクに示したもので、鼻の上の巨大な角が特徴的である。
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Mantell%27s_Iguanodon_restoration.jpg
1878年 : ベルギーにてイグアノドンのほぼ完全な化石が発見され、マンテルが角だと同定した骨は前足の親指のものだったと判明する。

 つまり、そもそもマンテルは自分の発見した化石が歯であると初めから認識していて、イグアノドンについて発表した後に見つかった化石群のうちの一つを角だと誤認したにすぎない。さらに、マンテルを擁護するに、イグアノドンの前足の親指は非常に特徴的な形状と大きさをしていて、それがどのような機能を担っていたかは、現在でも正確には分かっていない。
 ただ、現在のイグアナにも角はないわけで、なぜ角だと考えたのだろうというのはやはり疑問である。
 ひとつ考えられるのはマンモスの影響である。マンテルが化石について相談を持ちかけたフランスの博物学者ジョルジュ・キュヴィエはマンモスの命名者として有名であり、素人博物学者のマンテルはその強い影響下にあったと推測できる。マンモスと言えばその巨大な牙が特徴であり、時代は違うと言えども古生物であるからには巨大な牙や角を持つべきとの見解に彼が至ったとしても不思議ではない。
 あるいは、最初バックランドにもキュヴィエにサイだと言われたことが頭に残っていて、何となくサイっぽく書いてしまったのかもしれない。真相は分からないし、そもそも特に深い理由など無かったのかもしれない。

 もうひとつ、なぜ冒頭に示したようなイグアノドンとマンテルをめぐる誤謬が市民権を得るようになったのか。これには、リチャード・オーウェンという古生物学者が関わっているらしい。

オーウェンは、意地が悪く不誠実で憎むべき人物として描かれることがある。実際、あるオックスフォード大学教授はオーウェンを「とんでもない嘘つきだ。彼は神と悪意のために嘘をついた」として言い表した。オーウェンはイグアノドンの発見の功績は自分とジョルジュ・キュヴィエにあると広く主張したが、その恐竜の本来の発見者であるギデオン・マンテルの功績は完全に除外されていた。そしてオーウェンが実際には自分の物ではない発見を故意に自分の物だと主張したのはこれが初めてでも、また最後でもなかった。(中略)
 マンテルが事故により体に障害が残ったとき、オーウェンはその機会を逃さず、既にマンテルが名付けた数種の恐竜に再命名し、さらに厚かましくもそれは自分の功績だと主張した。そしてその後、ついにマンテルが自殺したときに書かれたある追悼記事は、マンテルを言及するほどの論文を書いていない二流の科学者以上の者ではないとあざけっていた。その追悼記事には筆者署名が無かったが、地元の地質学者全員がほとんど例外なくその追悼記事はオーウェンの筆だと考えていた。オーウェンは最終的に剽窃の廉で王立協会の動物学委員会から追放されている。
リチャード・オーウェン / ウィキペディア

 オーウェンは王室とのつながりもあり、マンテルの死後も当時の科学界に強い影響力を持っていたため、マンテルの誤謬を誇張した形で流布したのだと容易に類推できる。
 えてして当時の疑問はほぼ解決されたように思う。
参考:
http://en.wikipedia.org/wiki/Iguanodon
http://en.wikipedia.org/wiki/Gideon_Mantell
http://en.wikipedia.org/wiki/William_Buckland
http://en.wikipedia.org/wiki/Georges_Cuvier

*1:マンテル自身が見つけたという説もある。

*2:バックランドはこの年の初めに、メガロザウルスについての論文を著しており、メガロザウルスは世界で最初に同定された恐竜となった。