DQNネームは本当にDQNか。

昔親に自分の名前の由来を聞いて「流行ってたから。」との返答を得た僕としては、最近のDQNネームの風潮も出来る限り擁護したい。
 DQNネームの風潮の合理的説明として一つ考えられるのは、審美眼が変わりつつあるということである。今の基準に照らし合わしてみれば、門左衛門や五右衛門は立派なDQNネームだが、江戸時代にはそうでなかったはずで、名前の流行は変わる。それは日本に限ったことではなくて、英語圏でも例えばRobertの短縮形のBobや、Williamの短縮型のBillが時代を下るにつれ正式な名前として使われるようになった。
 最近のDQNネームの風潮も部分的には、この流行の遷移で説明できるように思える。ただ、一つ問題なのは、名前の流行が定期的に遷移していくのであれば、DQNネーム現象は恒常的な存在であるはずだという点である。「最近の若いものは、・・・」というセリフが平安時代和泉式部日記にも見いだせるというのは有名な話で、世代交代は恒常的現象であるが故、いつの時代も若者は老人から非難されてきた。しかし、DQNネーム現象はこれとは異なる。DQNネームという言葉が使われるようになったのはここ5年ぐらいであり、それ以前に子どもの命名に対する批判があったという話は、聞いたことがない。したがって、一連の風潮は名前の流行の定期的な遷移からでは説明できない。
 ここで忘れてはならない重要な点は、流行の遷移の間隔は一定ではないということである。ほとんどの流行の周期はテクノロジーの発展に伴い短くなりつつある。それは、企業の平均寿命や、音楽のヒットチャートの遷移*1を見れば分かる。つまり、流行の遷移の周期が今まで十分に長かったものが、ある臨界点を超えて短くなったことで、人々に違和感を与えるようになってしまったというのが、一つ妥当な説明となりうる。

 さて、この仮説を実際に検証したい。名前の流行に関してはあまり良い統計指標が見当たらなかったので、「明治安田生命名前ランキング*2」を用いることにした。これは、過去100年に流行した名前のベストテンを各年についてまとめたもので、母数がかなり少ないがおおまかな遷移を見るには十分であろう。
上のランキングの男性部門について、n年相関をまとめたのが下の図である。(n = 3,5,7,9,11)として、各年とその(n-1,n,n-1)年前のランキングとの一致度を計算し平均した。*3また、得票数の差が分からないので、順位は考慮に入れなかった。グラフに示されている通り分散は大きいものの相関係数は年次を下るにつれ全般的に下降トレンドを持っている。つまり、最近の方が昔に比べて名前ランキングの移り変わりが早い。

 また、興味深いことに第二次世界大戦後から2000年頃までの遷移については概ね景気循環と対応している。60年代の景気拡大期には相関が小さくなっていくものの、1973年のオイルショックを境に相関は再び上昇する。1979年の第二次オイルショック以後、再び景気は回復し、90年のバブル崩壊を期に再度上昇する。一般に好況時には人々は革新的で、出生率も回復する一方、不況時には保守化する傾向があるので、名前の流行の遷移は景気循環に対応していると見て良いだろう。

 もうひとつ、次のグラフは最初に相関がr以下(r = 0.3,0.5,0.7)になるのは何年前かを各年についてまとめたものである。グラフを見るに48年と56年に劇的な変化が見られる。48年には相関が0.5以下になるのにそれまで25年かかっていたのが3年になっている。また、56年には同様に相関が0.7以下になるのにそれまで40年近くかかっていたのが12年となっている。48-3 = 45, 56-12=44で分かる通り、これは終戦の影響で、実際にもとのランキングを見るに戦前と戦後で名前の流行がガラリと変わっている。終戦が人々にもたらした影響の大きさはこのことからも推し量ることができる。

 なお、このグラフでも戦後のr=0.3のグラフにゆるやかな減少トレンドが見られ、戦後の変移については周期が加速しているという仮説と矛盾はしていない。

確かに人々がDQNネームとして問題視しているのは主に、このランキングの最下位タイに位置するような流行の変移では説明できない名前かもしれない。でも、世界は加速的に変化しているわけで、少なくとも最近の子どもの名前がどれもDQNネームに見えるのであれば、それは自分の持つ名前に対する審美眼の方を疑うべきであると思う。

*1:テクノロジーが発展しすぎて機能しなくなったしまった例。

*2:http://www.meijiyasuda.co.jp/profile/etc/ranking/year_men/

*3:もう二度と日本語を含むデータは扱いたくない。